今月のテーマ 和菓子が主役の日!
6月16日は「和菓子の日」なのですが、意外と知られていないのが現実です。和菓子にたずさわる者として、この日をクリスマスくらいメジャーにしたいのです!!!どのようにしたらメジャーになるのでしょうか…
~和菓子の日の行事菓子~
元気餅
和菓子の日の行事菓子がないのなら作りましょう!ということで、まめいちが考案しました。
平安時代、16個の餅や菓子をお供えするところから始まった行事。江戸時代は「1」+「6」で7つの菓子、七嘉祥に姿を変えました。令和の時代は、7つの食材を1つの菓子に込めまして現代人に合うように栄養たっぷり調整いたしました。
疲労回復のクエン酸の梅干し、ビタミン・ミネラル・アミノ酸豊富なかつお節入りの白餡を道明寺のお餅で包み、アントシアニンポリフェノールを多く含む黒ごま、良質な脂質と 旨みが濃厚な金ごま、免疫力強化の青のりをまぶしました。
※まめいちの野望※
100年後のお菓子の歴史の本に…
「2122年6月16日は和菓子の日。この日は【元気餅】を食べて健康招福を祈る日です。由来は、100年前の2022年までさかのぼります。宮城県のある和菓子屋が勝手に考案し、勝手に毎年作っていたことが、勝手に広がり、いつしか定着して恒例の行事菓子となりました」
なーんてなったら面白いですね♡
原材料:大手芒 砂糖 道明寺 かつお節 梅 黒ごま 金ごま 青のり 塩 紫蘇
有難糖 ありがたとう
お菓子作りにかかせない砂糖。砂糖の歴史をたどると紀元前4世紀までさかのぼります。アレキサンダー大王がインドに行った時の遠征禄にサトウキビ栽培のことが記録されています。
このころ日本は縄文時代。日本に砂糖が入ってくるのはまだまだ先の奈良時代です。きらきらとして美しい宝石の原石のような甘い砂糖はとても貴重で、薬としてあつかわれていたそうです。
そして昔の砂糖づくりはとても過酷なものでした。サトウキビは収穫してすぐに加工しないと糖分が減ってしまう植物なので、収穫してすぐにさいて絞り出し煮詰めなければなりません、朝から晩まで本当に骨の折れる作業です。当たり前のように砂糖を使っておりますが、先人のご苦労の上に今があるということを受け止め、まめいちでは6月16日、砂糖づくりに携わっている方々携わった方々へ感謝する日にもしたいと思います。
角砂糖に見立てたすり琥珀。大豆入りつぶあんのこなし製です。
原材料:大手芒 砂糖 小豆 大豆 ササニシキ米粉 羽二重粉 水飴 寒天/金箔
みずはの恵
6月は「水の月」水の神様 罔象女神ミズハノメノカミ麗しい乙女の姿で現れます。
雨が降り 大地にしみこみ 湧きだして 川となる
紫陽花が雨にぬれて美しいのは水の女神が宿っているからなのだろうか。
京都一保堂幾世の昔の抹茶浮島甘納豆入りに抹茶を引き立てる程度のレモンカードをぬって、ハーブバタフライピー餡をしぼりました
原材料:大手芒 砂糖 小豆 国産レモン 無塩バター 小麦粉 上新粉 抹茶 バタフライピー 寒天 銀箔
作:佐藤里恵
天のたむ酒
天で造られる美酒「天のたむ酒」。夏のバテた体をたちまち元気にしてくれます。古事記に登場する美しい女神コノハナサクヤ姫が造ったとされる美酒。今の甘酒のようなものと言われております。
甘酒づくりには不思議な感覚があり、半日もあればできてしまい数日するとそれはそれは甘くなります。コノハナサクヤ姫が宿ったのではないかと思うくらいです。
甘酒とハーブバタフライピーの二層の錦玉羹です。冷やしてお召し上がりください
原材料:米 麴 砂糖 水飴 バタフライピー 寒天
水無月 6月30日 夏越の祓 行事菓子
一年のちょうど半分にあたるこの日。半年生きてきて犯してきた罪や穢れを祓い、年末大晦日までまた元気に明るく過ごせるように身を清める行事です。三角の形は氷に見立て、小豆には邪気を祓うという意味が込められています
原材料:小麦粉 砂糖 小豆 上用粉 浮き粉
和菓子の日
『和菓子の日』とは全国和菓子協会によって昭和54年に制定された和菓子を食べる日です。元をたどると平安時代までさかのぼります。
平安時代848年仁明天皇の時代。夏のこと、疫病が蔓延してしまい何とかしなければと、ご神託を受け「16」という数字を賜りました。
そこで6月16日に神前に、餅や菓子を16個供え、疫病を除け健康招福を祈誓し、その時元号を「承和」から「嘉祥(かしょう:めでたいしるしという意味)」と改元しました。するとぴったりと疫病が納まりましたので、嘉祥の儀として毎年恒例の祈願祭となりました。
鎌倉時代は、宋の嘉定銭16文で食べ物をそろえ御膳に供える行事がありました。
室町時代武家の間では、楊弓(柳でできた小さい弓で的を射って遊ぶ遊戯のこと)で負けた人が勝った人に嘉定銭16文で食べ物を買ってもてなす風習がありました。この嘉定通宝、読んで字のごとく 【嘉(か)】【通(つ)】勝負に勝つ縁起が良いと重宝されました。
江戸時代は将軍自ら菓子を大名へ下すという儀式的な形で、視覚的にそれぞれの立場を再認識する場として重要な一日となりました。このころになると16個も揃えるのが大変だよねとなり、「1」+「6」=7ということで、七嘉祥として菓子が売られるようになりました。
少しずつ形を変えながら和菓子が主役の大切な行事があったわけですが、明治時代になりますと徐々に薄れてなくなってしまいました。
なぜなくなってしまったのか!!!そしてなぜ浸透していないのかを検証してみました!!!
まず、日本には四季折々行事がございます。お正月、ひな祭り、端午の節句etc。。。行事には名脇 役の行事菓子が存在します。例えば、お正月は「花びら餅」、ひな祭りであれば「ひちぎり」「桜餅」「草餅」、端午の節句は「粽」「柏餅」、夏越の祓は「水無月」etc。。。
そして、行事には人々の豊かな暮らしへの願いが込められています。ひな祭りは女の子の健やかな成長。端午の節句は男の子のたくましく健やかな成長。夏越の祓は穢れを清めるなど。。。
そこを考えてみますと、「嘉祥の儀では特に決まった菓子があるわけではなかった」ということなのでポイントはそこにあるのではないかと推察できます!!!この日にはこの菓子を食べるという楽しみがある事が重要なのではないか!!!
ではではないのなら、、、作ればいいのだーーーーーーーーヽ(^o^)丿☆彡
ということで、まめいちが考案した行事菓子が出来上がりました。