今月のテーマ
枕草子~清少納言 心の風景~
エモーショナルemotional
秋はセンチメンタル。夕ぐれは愛おしいものを浮き上がらせて心にしみてきます。清少納言の心の中の風景が手に取るように感じられるのは、千年前と変わらぬ風景がここにあるからですね。千年前と変わらないのかと思い馳せて、またしみじみとしてしまいます。
こなしで秋の夕ぐれを。中の刻み栗入りつぶあんで夜の音をイメージしてみました。
原材料:大手芒 北海道大納言 砂糖 栗 ササニシキ米粉 羽二重粉 金箔
第一段より
秋は、夕ぐれ 夕日のさして、山のはいと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて三つ四つ、二つ、三つなど、飛びいそぐさへ、あはれなり まいて、雁などの列ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとおかし 日入りはてて 風のおと、虫の音など、はたいうべきにあらず (第一段)
秋は夕ぐれね。真っ赤な夕陽が山の黒い稜線に映えて、ねぐらに帰るカラスが三つ四つ二つ三つと、と飛んでいくわびしさがいいわね。まして雁が空の彼方を並んで飛んでいく光景は、とても趣があって本当にいいわよね。日が暮れた後の、風の音や虫の声を聞く面白さは言うまでもないわね。
皓皓kou-kou
牛車の牛が一歩一歩踏み出すたびに跳ね上げる水を、水晶が割れ飛び散ったようにとらえた描写は鮮明に情景を映し出して、まるでスローモーションで見ているような気持ちにさせてくれます。闇の中を清らかに白く光り輝く様をイメージしてみました。
黒胡麻の羊羹で闇を、満月はプルーン入りのきなこピーナッツあん、割れて飛び散った水晶は砕いた透明な錦玉羹で表現してみました。
原材料:黒胡麻 砂糖 落花生 きなこ プルーン 大手芒 寒天 銀箔
作・佐藤里恵
第二一五段より
月のいとあかきに 川を渡れば 牛の歩むままに 水晶などのわれたるように 水のちりたるこそおかしけれ (第二一五段)
月がとても明るい夜に、牛車で川を渡りました。車の中から牛を見ていたら足で水面を蹴るたびに水が飛び散り、まるで細かく割れた水晶がキラキラ輝いているようでとても美しい光景でした。
ほおばり餅seaweed
清少納言様より承りまして、わかめをたっぷりのせて、あみえびもぱらりとかけて、ほおばると口がモゴモゴするように調製いたしました。清少納言様は今でもワカメを見るたびにワカメ事件を思い出してぷぷっと思い出し笑いをしてしまうそうですよ。
「則光様ったら、本当にバカメ!」
原材料:道明寺 砂糖 小豆 わかめ あみえび ライスパフ オブラートパウダー
里にまかでたるにの段 (第八十段)
ワカメ事件
清少納言、里帰りしている時の事元旦那の橘則光には、やはりがっかりしたエピソード。(則光は体育会系でしたので文学的なことはまるで理解できない男で、離婚の原因のひとつとも言われています。)
いろいろな人が訪ねてくると厄介なので、今回居場所はごく親しい人にしか教えていなかった。清少納言のことが好きな藤原斉信は、清少納言の居場所を知りたかった。
そこで、斉信は、離婚したとはいえ、則光なら知っているだろうと詰め寄る。則光は清少納言に固く口留めされていたので居場所は言えない。そこでとっさに食卓の上にあったわかめなどの海藻を口にほおばりモゴモゴして答えをはぐらかして逃れた。
そんなことがあったと則光は清少納言に得意顔で話した。しばらくして、再び斉信に清少納言の居場所をしつこく聞かれたため、則光は清少納言に手紙を書き「教えてもよいか」と尋ねた。
清少納言はそれに対して、海藻を紙に包んで送って返事とした。「前回と同じように海藻を食べて黙っていてね」という意味です。
ところが、則光は意味が分からず、後日、「あれはどういう意味だったの?」聞くものだから則光にはあきれ果ててしまった。というお話。
心の関所 believe in yourself
この世で一番通り抜けが難しい関所があるとしたら、それは自分自身の心の関所かもしれません。「自分を信じて 仲間を信じて」勝手に自分で閉ざしてしまっている関所を突破してください。素晴らしい世界があなたを待っています。
この菓子は、ピスタチオという関所をめくると、クランベリーやレーズン、ブルーベリーの秋色の美しい錦玉羹が現れる、さつま芋羊羹です。是非めくってお召し上がりください♪
原材料:さつま芋 砂糖 ピスタチオ クランベリー レーズン レモン グリーンレーズン ゴールデンレーズン ワイドブルーベリー 寒天
仙台育英高校甲子園優勝おめでとうございます!
白河の関を越えましたね✩
第百六段より
枕草子 関は、の段 (第百六段)にも白河の関があげられています。関とは何だろうということですが、関とは関所。昔、重要な道路や国の境に設けて旅人の出入りや荷物を調べた役所のことです。転じて、容易に通り抜け出来ない所。難関の意味に使われたりします。
※日本では、奈良時代から設けられ、平安時代から室町時代にかけては、朝廷や幕府、荘園領主などが通行料を取る目的であちこちたくさんの関所がありました。