和菓子の日
6月16日は「和菓子の日」
全国和菓子協会によって昭和54年に制定された和菓子を食べる日です。
元々は「嘉祥の儀」という祈願祭に由来すると言われています。
水の月
水は決まった形がない 丸い器に注げば丸くなり 勢い良く注げばはじけ飛ぶ 水の正体はいったい何なのだろう
水の低きに就くが如し 物事にとらわれず流れのまま 自然な心で生きてゆく
そうして行く先にきっと何か見えてくるのだろう
すっきりとした合わせ餡のこなし製です。
原材料:大手芒 砂糖 北海道小豆 ササニシキの米粉 羽二重粉 オブラートパウダー/金箔
主水 monto
6月30日 夏越の祓の行事菓子の水無月を「水」をテーマに創作いたしました。
小豆の栄養とミネラルもとれるよう小豆の甘納豆の塩レモン錦玉羹です。
一年の半分の穢れをはらい、師走までもう半分、大晦日まで笑顔で明るく暮らしましょう。
徳川の秘密
健康である喜びは昔も今も変わりません。
健康オタクと言われている徳川家康は好きであったかどうかは別として健康のため麦飯を食べていました。胡麻は大好きだったようです。
徳川家斉はチーズのような白牛酪を好み、そして一日も欠かさずみょうがを食べていました。みょうがには集中力が増す香り成分があります。麦飯はビタミンB2カルシウムで温厚に。
徳川家リーダー食の菓子を創作いたしました。マスカルポーネあん柔らかい羊羹いりの黒ごま羊羹、丸麦とみょうが仕上げです。
原材料:大手芒 砂糖 黒ごま マスカルポーネ 丸麦 みょうが 水飴 寒天
元気餅2023 ~100年後に残す菓子~
まめいちは6月16日の和菓子の日に食べる行事菓子を勝手に考え、勝手に広めるために元気になる「元気餅」を追求しています。
今年は黒糖ねきあん入り白あんを道明寺のお餅で包み、ケシの実とおぼろ昆布で仕上げました。
どうしたら、100年後に残す菓子を作れるのでしょうか?皆様からのアドバイスよろしくお願い申し上げます。
嘉祥の儀に関わった「水」の和菓子職人
平安時代848年仁明天皇の時代。夏のこと。疫病が蔓延してしまい何とかしなければと、神様のお告げ、ご神託を受け「16」という数字を賜りました。
そこで6月16日に神前に、餅や菓子を16個供え、疫病を除け健康招福を祈誓し、その時、元号を「承和」から「嘉祥(かしょう:めでたいしるしという意味)」と改元しました。
するとぴったりと疫病が納まりましたので、嘉祥の儀として毎年恒例の祈願祭となりました。
鎌倉時代、室町時代、江戸時代と風習は変わりながらも「嘉祥の儀」の行事は続けられていました。
江戸時代の嘉祥の儀
徳川家康に仕えた大久保藤五郎(大久保主水)という菓子司が中心となり「嘉祥菓子」に深く関わったと言われています。
大久保藤五郎は徳川家康の小姓を務めておりました。合戦で鉄砲を腰に受け歩くのが不自由になってしまいましたが菓子作りが得意となり、家康の茶菓・餅菓子を献上する役割を担いました。
謹厳実直、何事にも真剣に取り組む姿を見ていた家康は、藤五郎が作った餅菓子は毒味なしで安心して食べたと言われています。
6月16日の嘉祥の日の菓子も藤五郎が中心となって2万個の菓子を作り江戸城の大広間に並べられました。
そして、こんなに美味しい菓子を作れるということは「水」の味にも確かな味覚を持っているだろう。小豆を美味しくたくには水の味を知っている者だからだと、上水道の見立てを任せました。
藤五郎は、井の頭池や善福寺などを水源とする上水を探し当て開発し、小石川上水、神田上水と江戸に暮らす人々に「命の水」美味しい水をもたらしました。
家康は藤五郎の功績を認め、天皇の飲み水を管理する役割という意味の「主水」という名を与えました。
「もんど」では水が濁るということで代々「もんと」と名乗りました。
水
六月を水無月と言いますが、水がない月ではなく、「水の月」水無月なのです。
田んぼにたっぷりと張った水は平和な安心感と元気さと勢いを感じます。
当たり前のように飲める水。もしこの水がなかったらと想像すると、しぼんだ気持ちになり、元気が奪われてしまいうずくまっています。
人間は水と睡眠さえしっかりとっていれば2~3週間は生きていられるといわれています。しかし水を一滴もとらなければ4~5日で命を落としてしまいます。人間の体の50~75パーセントは水でできており、人間の体の100兆個をこえる細胞は水によって維持されています。
水を容易に得られることの幸せを考えずにはいられません。世界には深刻な水不足で苦しんでいる人がいます。日本も豊富なようにみえて降水量は年々減少傾向にあり、水の豊富な国であるとは言えないのです。
菓子を作るとき、本当に沢山の水を使います。今一度水の大切さを感じ取り、無駄な水を流していないか考えながら、次の世代、地球の未来を考えられる菓子職人になりたいと思います。